何か自分に不都合なことが起こったときに「何で?」と思ってしまう。日常の忘れ物、家事の失敗、他人の簡単なミスにはもちろん、人生単位の病気、被災、愛する人の急死などもそうだ。そこに「何で?」と理由を求めることは苦しむことに繋がる。人生に起こる全てのことに、理由などないことが殆どであるからだ。起きたことを受け入れられるために、人は理由を求める。しかし起きた出来事を受け入れたとき、そして前に進めたときにその理由が初めて分かることがあると考える。その「何で?」が足枷になっていないだろうか?