気分転換が大切だと昔から言われてきた。確かに勉強や仕事が捗らないときに、違うことをやってまた戻るとよく進むことがある。しかしそれだけではない気がする。われわれは何か上手くいかないときには、イライラしたり落ち込んだりする。また疲れていて休みたいときには、先の予定を立てにくい。そんなときは上手くいかないことに対して、後から理由付けをしてしまう。つまり他人のせい、周りのせいにする。感情が落ち込むと脳が勝手に働いて、昔言われた誰かの言葉にまで遡ることもある。たかがそのときの気分が、自分の人生全て不幸にまで行きついてしまうことさえもある。人は追い込まれると何でも言うし、何でもするかもしれない。だから気分転換が僕たちには大切だと確信する。
気分転換
腑に落とす
許せない他人の言葉、やってしまった自分の行動がいつまでも自分を苦しめる。他人や自分を責めて、悪者にして、それを繰り返して自分を傷める。腑に落ちないことが苦しい。腑とは内臓。落ちないものは自分で落とせばいい。納得できるように考える。あれはしょうが無かったと思う。腑に落とせれば消化できる。消化できれば苦しむことも無くなる。それが自分の血や骨になる。いずれ力に変わる。
見返りを求めないから
「私がこんなにしてあげたのにあなたは〜」とか、「私がどれだけあなたを思っているのか知ってるの?」と言う人は逆に愛されにくいものである。親子や夫婦、恋人同士はもちろん、誰に対してもそうだ。見返りのない愛や親切に僕たちは惹かれる。見返りを求めない人こそが愛される。あなたの愛や親切だと思うことは、ただの押し付けではないだろうか?愛されたり親切にされたりしないと嘆いている人は、きっと見返りを求めているのであろう。
操作する人
配偶者でも子供でも部下でも、他人に対して操作しようとする人がいる。「普通なら〜するよね」、「〜しないと別れるよ」、「〜する子はうちの子でないわ」と平気で言う。モラハラ、パワハラである。そう言う人は、自身がまず満たされてない。自分を愛していない。だから近くの他人を操作して自分を満たそうとする。操作されそうになった方は、満たされていない相手を残念だと思ってあげるだけでいい。もし自分が操作する方だと気づいたら、気づいた自分を受け入れて褒めてみる。そしてこれからは自分を愛してあげよう。
劣ってなんかないよ
自分に自信がなく、誰にでもあらゆることで劣っていると感じている人は、自分の持っている力を発揮できずに燻ってしまう。逆に自分に自信があって、誰かより劣っているとか他人と比べることをしない人は、自分の持っている力を発揮できるから、何事にも挑戦したり、失敗から学べたり、人生を楽しめる。前者は幼い頃から自信を持つことを躊躇ってしまっていなかったか?周りの大人の言葉で傷ついてしまってないか?普段一緒にいる人に自分を否定されてないか?って振り返ってみる。少しでも思い当たることがあれば「劣ってなんかないよ」って自分で自分を癒して、勇気をつけてあげればいい。自信なんて根拠がなくたっていい。自分が自分らしくいればいい。自分をありのままで抱きしめるだけでいい。みんな誰だって劣ってなんかないのは絶対的な真実だから。