インクレディブル
2025年3月17日
さいたまマラソンに参加してきた。寒い雨の日であったが、走ると暑くなってしまう僕にとっては好条件だと臨んだ。昔から慣れ親しんだ、さいたまの街の車道を思いっきり走れるのと、家族や職員をはじめ多くの声援をもらえるこの大会は今までの集大成だと思ってきた。前半は快調で自己ベストより速いタイムで気持ちよく走ることができた。しかし後半になるにつれ、右臀部の痛みが発生し、次第にその痛みに引き続き沢山の箇所が痛んだ。何とかゴールできたものの、自己ベストには及ばず少し悔しかった。しかし沢山の応援がもらえたのは力になったのは間違いない。しかも今回は雨の中、大好きな仮装までできた。ミスターインクレディブルというキャラクター。インクレディブルとは信頼できるという意味である。信頼というのは他人だけにするものではない。自分自身を信頼できることが肝要である。僕たちは自他ともに期待をしてしまう。それを結果として裏切ることも多くある。しかし結果を事実として、またあるがままの存在として、自ら受け入れられることが本当に信頼できるということではないだろうか?そんなことを考えて走ってきた。
自己ベスト
2025年3月5日
先日親友の故郷を訪ねがてら、いわきサンシャインマラソンを走ってきた。親友の両親をはじめ、いわきの人々が温かく歓待と応援してくれたためか4年振りに自己ベストタイムを更新できた。帰宅の途に着くときから自分が誇らしく、頼もしく思ったのと、コツコツと走ってきてよかったなぁと幸せな気持ちであった。僕のタイムはマラソンランナーからすれば平凡である。また順位だって真ん中くらいであろう。しかし走って感じた幸せはかけがえのないものである。誰かに勝とうが負けようが関係ない。比べ無くてもこんなに喜べる。誰かと比べていたらこんなに嬉しいものであろうか?スタートラインが違くたっていい。他人と比べたタイムや順位なんて喜びからしたら微々たるものである。人生においての価値だってそんなところにはない。自分がありのままに楽しみ、成長できることにこそ喜べるし、それだけで幸せである。またいつか出したいベストタイムのために今日も走りにいく。
イライラ戦争
2025年2月28日
不機嫌でイライラしている人は、必ず自分のその感情を誰かのせいにする。子供や配偶者、部下、手の遅い店員、公共のマナーに疎い人、そしてイライラした他人などなど。自分の勝手な被害者意識や、手放せない完璧主義のせいでイライラしていることには気づけない。自分の不安が原因だったり、疲れているだけかも知れないのに。イライラを自ら選び、誰かのせいにして攻撃して、周りに気を遣われながら生きていけば、気づいたら周りに人がいなくなっている。イライラして大声を上げる人が強いのではない、イライラしない人が強いのだ。ただしイラッとくることは誰にでもある。そこからイライラまでいかないようにするのが人間力である。イラッとしたときに、その原因を考えてみればよい。誰かの反応に期待してなかったか?忙しくなかったか?想定外を想定内に落とし込めればイライラまでは回避できよう。イライラ戦争には大いに反対である。
幸運な生き方
2025年2月14日
テレビでは亡くなった過去の偉人たちに、不運の人生だとか、悲運の人だったとか言っている。また宝くじで何億か当たれば幸運かもしれないと誰もが思う。しかし運なんて出来事を自分や他人が勝手に解釈しているだけだ。能力、容姿、親など選べないし、かかる病気だって選べない。誰でも被災する可能性だってある。どんな生き方をしていくか、人生をどう捉えるかで幸運か不運かは決まる。宝くじに当たって不幸になった人の話はよく聞く。大きな病気や障害があったって幸運だと言ってる人を沢山知っている。不運を語っている人ほど、不平不満、悪口をこぼしている気がする。だったら悔い、悩む時間やエネルギーを、少しの幸運を集めていくことに使おう。僕の人生は幸運であったか?不運であったか?人生が終わるときに幸運であったと思いたい。そのためにも今夜眠るとき、明朝目覚めるときに今日も幸運だと思える毎日を過ごしていくのだ。
恩を着せる
2025年2月7日
「あなたのために私がやってあげるわ!」、「誰のおかげで生活できると思ってるんだ!」、「俺が旅行に連れていってやる!」と子供や配偶者に言っている人がいる。この人は自分が善意や愛の仮面を被って、見返りに感謝や従順を求めているのだ。親に恩を着せ続けられ育った子供は、大人になったときに自己肯定感は無くなり、他人の悪意なきミスを憎み、誰かの一言やふとした態度でキレるようになるかもしれない。また恩着せがましいパートナーとの生活で、きっとそこには癒しが無くなるだろう。恩着せがましい人には、心の距離を置いてもいいのだ。もし自分が恩着せがましいかもと気づけたなら、相手にやってあげたいことをやるだけでよい。そして、子供やパートナーにそれをやらせてもらっていること自体に感謝しよう。いくら寒波が来てるからって恩を着せてはいけないのだ。