自分で褒める
2025年7月30日
他者からの評価がないと生きられないのは辛いものである。そんな人はだいたい自分の話をしたいために、他人の話を聞いている。SNSにアップして、いいねをもらうために、食事を食べたりイベントに参加、旅行もする。愛してると言われるために、あなたを愛してると繰り返す。承認欲求が強いと言うべきだろうか?他人からの愛、評価、承認を求めて満たされて、渇望して、何とか満たされて、を死ぬまで繰り返す。誰しも子供時代には褒められるために、怒られないために自分の行動を選択していただろう。子供時代に親子関係で失敗したからだろうか?大人になろうが、親が死のうがその欲求だけ残る。また他人に求めてそれが得られないという欲求不満により、不機嫌や攻撃、他人の操作まで行う。そしてそのような反応をとってしまうことが何よりもつらい。承認欲求が強いことが生きづらさを抱えることに気づけば、解決する道も得られよう。自分自身を認めて、自分を褒める。誰にも褒めてもらわなくていいのである。今日もよく頑張った。あなたはあなたでいれば、それこそが素晴らしい。
頑張るだけでは
2025年7月19日
今までいろいろ頑張ってきた。勉強では学校で一番にもなったことがあるし、部活ではレギュラーになるために汗をかき続けた。今は患者さんを良くしたいと思ってたくさん調べたり、苦手な専門の先生にも頭を下げてたくさん教わった。皆が働き甲斐がある病院であるためにもいろいろ頑張った。子供のためにもたくさん遠出したり、遊んだり、勉強も教えてきた。頑張って料理もだんだんと上手くなったと思う。マラソンだってたくさん走ってきた。僕はつくづく頑張り屋だと自分でも思う。だけど頑張らないことが不安だったし、頑張れない自分も好きではなかった。しかし頑張ってきた反面、失敗して落ち込んだことも多くあった。段々と歳を重ねて、失敗も重ねてくると頑張ることで、心身を傷めたり、頑張ることだけでは上手くいかないことも多いのにやっと気づくようになった。そう頑張り方が大事なことに。また誰だって頑張って生きていることも分かった。だからこそ、これからは頑張り屋として、頑張る方向を見据えて、頑張り過ぎないで生きていこうと思う。
チームプレー
2025年7月8日
小中高で柔道や剣道をやっていた僕は、大学に入ってアメフト部に入った。医学部での6年間、両親を始め周りの人達には申し訳ないが、時間やエネルギーをほぼほぼ部活に費やしていたことを今も誇りに思っている。部活の同級生や先輩、後輩達は卒業後25年経った今でも、色褪せない仲間たちだ。何故そこまで思えるのだろうか、とふと考えてみた。アメフトという競技そのものが大変魅力的である。プレーヤー1人1人の分業がはっきりしているスポーツであるが、その連係こそが醍醐味なのである。そして僕自身は学生時代には意識しなかった魅力を、アメフトをやらなくなった25年かけて熟成させてきたように思う。1人1人の能力や成長を引き出す周りの仲間たち、それが合わさる成果や喜びが確かにそこにはあった。いいチームプレーが皆を輝かせる。そう疑わないのは、今の仕事にチームプレーを求めてきたことに他ならないのであろうと思う。
嫌われたくない
2025年6月25日
他人の顔色ばかりを伺い、自分の本音を封じて、思ってもいない褒め言葉でお世辞を言って、誰かに嫌われないようにする。昔から群れをなして、一人では生きていけないわれわれ人間にとっては、他人に嫌われないように振る舞うことは本能かもしれない。しかしそれは疲れる。必要以上にエネルギーを使い、われわれの生きる力を奪うことも事実である。そんな他人との距離を取る、時間を短くすることを意識してもいい。「嫌われたっていいじゃない」と割り切れる人ほど、自分のエネルギーを生かせるから、むしろ誰からも嫌われないのかもしれない。
自分で褒める
2025年6月17日
大人に褒められて伸びる子供たち。子供を大いに褒めてあげよう。しかし大人になると褒められる機会は減る。家族やSNSも含めて他人に褒められることを求めていてはいけない。そんな自分の心は他人の評価に依存する。褒められて一時的には満たされても、また次から次に求め続ける。そのために自分を偽り、虚勢をはったりする。他人を操作までして求めることもある。つまりいつまでも満たされないのだ。だから自分で自分を褒める。今日良かったこと、出来たこと、過去から現在、自分にあるもの全てをいつも褒める。そうして自分の心を守っていく。