
今年は早く咲いている桜に視線が上向きになっています。桜は日本を代表する花で、桜の語源はアマテラスの孫であるニニギノミコトの神話に出てきます。古くから我々が愛するこの花は暖かくなると一斉に咲き、春の訪れを告げ、新生活・新年度への希望を与えてくれています。そして他の花の花びらは落ちるのに、桜の花びらは舞い散る、そこに儚さを感じてしまいます。人の一生にも例えられるような尊さ、美しさを持つこの花を毎年拝める幸せを感じています。
今年は早く咲いている桜に視線が上向きになっています。桜は日本を代表する花で、桜の語源はアマテラスの孫であるニニギノミコトの神話に出てきます。古くから我々が愛するこの花は暖かくなると一斉に咲き、春の訪れを告げ、新生活・新年度への希望を与えてくれています。そして他の花の花びらは落ちるのに、桜の花びらは舞い散る、そこに儚さを感じてしまいます。人の一生にも例えられるような尊さ、美しさを持つこの花を毎年拝める幸せを感じています。
大相撲大阪場所が真っ最中です。長時間のいわゆる大相撲も好きですが、一気に決着がつく取組も魅力を感じます。立ち合いからの一気の寄り、押し、突きには鮮やかさと潔さを感じます。電車道と表現されるように迷いなく、進んでゆくのです。綿密な作戦と自分の相撲を取るという強い決意、十分な気合いに裏付けされたものからなると考えます。写真は病院のご近所の方の庭に咲く木蓮の花です。
年に一回高校3年時のクラスメートで集まっています。先日は高校の正門前で集合し、クラス会へ移動しました。23年も前に卒業し、それぞれ違う道へと進んでいるのに、一瞬にして18歳に戻る感覚を毎年感じています。しかも今年は正門前に行ったときに、高校の合格発表から入学式に始まり、3年間の風景が頭の中をよぎりました。不思議な体験でした。まさに走馬灯のようでした。
人は亡くなる前に人生をダイジェストに思い返すと言われています。感情を大きく動かされた記憶が場面となるようです。脳内のアドレナリンが起こす説や、内省と同様の現象など諸説あるようです。しかし見送った方からお話は聞けず、また臨死から生還された方の話にも本当に走馬灯現象が起こるのかを聞いたことがありません。先人たちが一生懸命に最期まで生きるように教えるための智慧かも知れません。
「あの人は頑張ってはいます」、「私だって頑張っているのに」など、仕事をしているとよく聞く「頑張る」という言葉です。しかし僕には「頑張る」という言葉だけでは、魅力をあまり感じません。「我を張る」や「眼張る」に語源があることもありますが、どうしても肩に力が入り過ぎて、周りを見られない状態を指している気がしてならないのです。問題は、頑張り方の工夫や仲間に頑張ってもらうことで、自分自身が頑張ることに執着することはマイナスにもなり得ます。もちろん頑張った先には達成感もあるでしょう。しかし頑張り切れなかった先には挫折感が強く残ると考えます。つまり物事に取り組む際には、意識して頑張る必要は無い気がします。自然と努力が続けられることが大事だと思います。「やめようと思っていたけどこれくらいなら何とか頑張れるや」くらいの力の入り具合で良いかと思われます。話題の女芸人コンビくらいのユルイ感じで。写真は、医師と看護師向けの除細動の勉強会です。
僕は病気を治すことが仕事です。しかし治らない病はあるし、生命の老化には勝てない。ガンや血管病変にも。昔よく耳にした「ナチュラルコース」という言葉は、ガンや末期の臓器不全で生命を脅やかされているときに蘇生や積極的治療をしないことを指すが、こうなると一般に医師は本当に何もしない。温かい言葉は使うかも知れない。しかし無力感に襲われたことが多かった。
患者さん自身も「自然に逝きたい」とよく言う。でも何が自然か?愛する人には一日でも長く生きていて欲しいし、一緒にいたい。そして医師として、医療者としてその気持ちに応えたい。取れる苦しみはなるべく取りたい。それにはカテーテルや点滴を用いる。それらが自然な感情ではないか?これから死別する心の準備だって必要だ。感謝の気持ちだって伝えたい。僕はこれらが「ナチュラルコース」だと考えている。