院長ブログ

感情は生きてきた結果である

2025年10月17日

 怒ったり、悲しんだり、喜んだり、楽しんだりする今感じている感情は、これまでどう生きてきたかの結果である。些細なことに焦点を当て、しがみつき、いつまでも「ああすればよかった」となる人もいれば、同じ起こった事象を取るに足らないと感じたり、さらには成長のチャンスと捉えられる人もいるだろう。感情とは過去に自分が処理してきた感情によって、改めて表出する脳の反応に過ぎない。明るい人、楽しめる人、いつも感謝できる人は生まれてからそういう生き方をしてきたのであろうし、粘着気質、不満体質、易怒性などの人についても同じことが言える。今自分が許せない人やことが多くあり、いつまでも過去に囚われ、人生の不運に嘆いているのであれば、自分のそういった感情はどこから生まれて、どう育ててきたのかを見直すべきである。自分の過去の解釈を改めて見直せばいいのである。


鳴らさない

2025年10月14日

 怒りは自分のエネルギーをすり減らし、自分の能力を最大限に引き出せない。更に人前で大声で怒鳴って自分の正義を振りかざしても、だいたいその相手は遠ざかる。周りも近づかなくなる。たとえ部下が遅刻しようが、子供が約束を守らなかろうが、自分の思った通りにならなかった相手に対して怒鳴ってはいけない。怒ったとしても考えてみて欲しい。相手には相手の事情があり、少しでもそこを思いやれれば、怒りは怒鳴るところまでいかない。言ってはいけないことも言わないのだ。思いやりが怒りを鳴らさない。


自立する

2025年9月27日

 「そろそろ自立してもらわないと」と青年期の親たちは思うだろう。しかしそれは大概の場合、経済的や社会的に自立することであろう。つまり仕事をして糧を得て、自力で日常生活を送るというようなイメージであろう。しかし自立で一番大切なのは、甘えない、つまり他人への期待が裏切られたとしても気持ちをコントロールできることであると考える。「ああして欲しい」、「こう言って欲しい」と望んでしまったときに、それが得られなくても不機嫌にならないことである。まずは親という別人格にそれらを望まなくなることから始めなくては。それは子供やパートナーから自立していない大人たちを実に多く見かけるからだ。


憧れの存在

2025年9月18日

 悲しい知らせが届いた。早すぎた。その人のことは若い頃から知っていた。お父様の小中高大の卒業校が全て僕と同じとのことで、親近感を抱いてくれていたのか、よく声をかけてくれた。大学時代にアメフトで戦ったことを後から知ったときには、この人とは運命的に繋がっているとも思った。先生と食事した時間はとても楽しく、誘ってもらえた釣りにももう行けないことも悲しい。いつも周りから頼られる歯科医であった。もちろん僕も頼った。家族や職員、難しい患者さんも何度も救ってもらった。僕自身も痛みから何度か救ってもらった。頼んだ仕事を決して断らず、歯のことに関しては全て自分の使命とばかりに引き受けてくれた。近所でこんなに頑張っている素敵な先生がいることに、どんなに力をもらってきたか計り知れない。憧れていた。もういないと思うと辛い。いつも朗らかに駆け回っていたことが、若くして他界されたことに少なからず繋がったのだと思うが、それが大きな魅力であった。人はいつ死ぬか分からないが、僕もその日が来るまで先生のように頼られる、駆け回れる、引き受けられる医師でありたい。ゆっくりお休み下さい。


普通が当たり前

2025年9月13日

 普通なんて人によって違う。自分の期待を他人に普通として求めてないか?自分が他人を操作するために、自分の普通を押し付けてはいないか?また普通を連呼している人ほど怒っている。つまり普通なんてものはないと思っていい。あっても電車くらいなものだ。また当たり前なんてものもない。食べられて、寝られて、仕事があって、自分を必要としてくれる人がいて、愛せる人や物があって、笑えて泣けて、今生きている自分がいる。全部当たり前ではなくて、ありがたいことと感じていたい。普通だったら幸せか?当たり前が多ければ幸せか?普通はなくて、当たり前ではないことを感じられることが幸せなのである。



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