怒ってもいいよ
2025年11月9日
何でもかんでもポジティブに捉えることは難しい。不安や悲しみ、怒りは誰だって感じていい。しかし感情に任せた行動を取らないことが大人ってものだ。不安だからイライラして八つ当たりだとか、怒って怒鳴って、自分を正当化して、誰かを傷つける人は人間性に乏しいのだ。怒りの表現こそが、その人の人間性を高くしたり、低くする。だから怒ってもいいよ。でも何が不安であるか?何を期待してしまったのか?疲れていないか?感謝できることはないか?と考えたら、その怒りも消えていくものだ。いつまでも怒っていないで、怒りの表現で他人を傷つけないことが我々を幸せにする。
酷いことを言われたとき
2025年10月30日
多くの温かい言葉で勇気づけられた一方で、感情に任せた酷い言葉で傷つけられたこともある。両親や子供を悪く言われたり、自分の人間性を批判されたりしたことも少なからずある。落ち込んで、自分の生きる価値に疑問を感じたことさえある。誰もがあるかもしれない。親だって、パートナーだって、偉い上司だって、他人を批判する権利はない。しかしそんな言葉たちに囚われていたら、いくらでも悲しめるし、怒れるし、憎めるし、恨めるだろう。しかしそれがどれほど自分のエネルギーを奪うだろうか。その人とは心の距離は離して、嫌いになってもいいし、苦手になってもいい。そして言葉たちをトイレのように流すといい。どんなことを言われたって、僕は僕のままで生きていく。
感情は生きてきた結果である
2025年10月17日
怒ったり、悲しんだり、喜んだり、楽しんだりする今感じている感情は、これまでどう生きてきたかの結果である。些細なことに焦点を当て、しがみつき、いつまでも「ああすればよかった」となる人もいれば、同じ起こった事象を取るに足らないと感じたり、さらには成長のチャンスと捉えられる人もいるだろう。感情とは過去に自分が処理してきた感情によって、改めて表出する脳の反応に過ぎない。明るい人、楽しめる人、いつも感謝できる人は生まれてからそういう生き方をしてきたのであろうし、粘着気質、不満体質、易怒性などの人についても同じことが言える。今自分が許せない人やことが多くあり、いつまでも過去に囚われ、人生の不運に嘆いているのであれば、自分のそういった感情はどこから生まれて、どう育ててきたのかを見直すべきである。自分の過去の解釈を改めて見直せばいいのである。
鳴らさない
2025年10月14日
怒りは自分のエネルギーをすり減らし、自分の能力を最大限に引き出せない。更に人前で大声で怒鳴って自分の正義を振りかざしても、だいたいその相手は遠ざかる。周りも近づかなくなる。たとえ部下が遅刻しようが、子供が約束を守らなかろうが、自分の思った通りにならなかった相手に対して怒鳴ってはいけない。怒ったとしても考えてみて欲しい。相手には相手の事情があり、少しでもそこを思いやれれば、怒りは怒鳴るところまでいかない。言ってはいけないことも言わないのだ。思いやりが怒りを鳴らさない。
自立する
2025年9月27日
「そろそろ自立してもらわないと」と青年期の親たちは思うだろう。しかしそれは大概の場合、経済的や社会的に自立することであろう。つまり仕事をして糧を得て、自力で日常生活を送るというようなイメージであろう。しかし自立で一番大切なのは、甘えない、つまり他人への期待が裏切られたとしても気持ちをコントロールできることであると考える。「ああして欲しい」、「こう言って欲しい」と望んでしまったときに、それが得られなくても不機嫌にならないことである。まずは親という別人格にそれらを望まなくなることから始めなくては。それは子供やパートナーから自立していない大人たちを実に多く見かけるからだ。