愛の関心
2025年11月25日
「愛の反対は無関心である」と言った作家がいた。だとすれば「愛するということは関心を持つこと」とも言えるのではないだろうか。愛とは人間力であると考えている。それは育てることもできる。また愛をたくさん持ってる人、あまりない人がこの世にはいる。誰に対しても関心を持てる人は、愛の強い人であるとも考えられる。誰でも他人に優しくしたり、愛したいと思っているだろう。しかし見返りを求めたり、誰かと比べたりしてしまうことによって愛は失われてしまうものだ。まずは自分を愛すること、つまり自分に関心を持つことから始める。自分の身体、感情や思考、過去についていつも整理しておく。自分に関心を持てればきっと他人に関心を持てるし、自分を愛せれば他人を愛せると信じている。
悩みの作り方
2025年11月14日
悩みは自分で作るものである。悩んでいる人は年中悩んでいる。配偶者や子供のこと、仕事や学業のことなど、悩もうとすれば枚挙にいとまがない。確かに生きていればいろいろあるから、思った通りにいかないことが起きたら一時は悩むだろう。また人は一人では生きていけないから、他人の問題をわざわざ自分の問題として悩んでしまう。また自分の足を引っ張ったり、陰陽問わずに、他人を攻撃しないと生きてはいけない不幸な人にも悩まされる。自分が悩んでいると気づいたときの解決策は、自分や他人を責めることではなく、不運を嘆くことでもない。自分にできることを考えて行動することである。
怒ってもいいよ
2025年11月9日
何でもかんでもポジティブに捉えることは難しい。不安や悲しみ、怒りは誰だって感じていい。しかし感情に任せた行動を取らないことが大人ってものだ。不安だからイライラして八つ当たりだとか、怒って怒鳴って、自分を正当化して、誰かを傷つける人は人間性に乏しいのだ。怒りの表現こそが、その人の人間性を高くしたり、低くする。だから怒ってもいいよ。でも何が不安であるか?何を期待してしまったのか?疲れていないか?感謝できることはないか?と考えたら、その怒りも消えていくものだ。いつまでも怒っていないで、怒りの表現で他人を傷つけないことが我々を幸せにする。
酷いことを言われたとき
2025年10月30日
多くの温かい言葉で勇気づけられた一方で、感情に任せた酷い言葉で傷つけられたこともある。両親や子供を悪く言われたり、自分の人間性を批判されたりしたことも少なからずある。落ち込んで、自分の生きる価値に疑問を感じたことさえある。誰もがあるかもしれない。親だって、パートナーだって、偉い上司だって、他人を批判する権利はない。しかしそんな言葉たちに囚われていたら、いくらでも悲しめるし、怒れるし、憎めるし、恨めるだろう。しかしそれがどれほど自分のエネルギーを奪うだろうか。その人とは心の距離は離して、嫌いになってもいいし、苦手になってもいい。そして言葉たちをトイレのように流すといい。どんなことを言われたって、僕は僕のままで生きていく。
感情は生きてきた結果である
2025年10月17日
怒ったり、悲しんだり、喜んだり、楽しんだりする今感じている感情は、これまでどう生きてきたかの結果である。些細なことに焦点を当て、しがみつき、いつまでも「ああすればよかった」となる人もいれば、同じ起こった事象を取るに足らないと感じたり、さらには成長のチャンスと捉えられる人もいるだろう。感情とは過去に自分が処理してきた感情によって、改めて表出する脳の反応に過ぎない。明るい人、楽しめる人、いつも感謝できる人は生まれてからそういう生き方をしてきたのであろうし、粘着気質、不満体質、易怒性などの人についても同じことが言える。今自分が許せない人やことが多くあり、いつまでも過去に囚われ、人生の不運に嘆いているのであれば、自分のそういった感情はどこから生まれて、どう育ててきたのかを見直すべきである。自分の過去の解釈を改めて見直せばいいのである。