反省文
2024年6月25日
反省させるために反省文を書かせても意味がないと昔から思っていた。また暴言や暴力を奮った人に対しても注意しても意味がないとも思っている。つまり繰り返されるのだ。それはあくまで悪いことをした人に対しての親や指導者、上司側の気持ちを収めるために過ぎない。その人はもっと根深い怒りや憎しみを持っていて、その一部が表に出てきたに過ぎないからだ。反省文を書かせたところで、それが直るどころか同じようなことを繰り返したり、更に否定的感情を抑え込み、後々暴発させるリスクを高めてしまうのではないだろうか?否定的感情を吐き出すことを、誰も傷つけない形で行っていくことを考えないといけない。自らの反省、つまり内省ができなければ、立派な作文の著者になるだけだ。