
「せっかくあなたのために作ったのに…」、「あなたのために私がどれほど…」と。これをしばしば言う人は、愛を押し付けたいだけ。相手から愛が欲しいだけ。見返りを求めているだけ。だから「あなたのために…」と言っている人には操作されなくていい。「人の為」と書いて「偽り(いつわり)」。もし押し付けている自分に気付けたら、自分を愛してあげることから始めなくては。


「せっかくあなたのために作ったのに…」、「あなたのために私がどれほど…」と。これをしばしば言う人は、愛を押し付けたいだけ。相手から愛が欲しいだけ。見返りを求めているだけ。だから「あなたのために…」と言っている人には操作されなくていい。「人の為」と書いて「偽り(いつわり)」。もし押し付けている自分に気付けたら、自分を愛してあげることから始めなくては。

責任転嫁。何か自分に不都合なことが起こると、それを他人のせいにすることは、その場を楽にする。子供が問題を抱えたら妻のせいにする夫、離婚したのは配偶者が悪いという人、自分の人生が上手く行かないのは親のせいなどなど。他人のせいにするのは、自分が行動できなかったからである。父親としての子供への関わり、夫婦としてのパートナーシップ、親がどうであれ自分の人生である。あらゆることは誰のせいでもなく、自分の生き方の捉え方である。つまり自分に必ず責任はある。責任転嫁していれば、後から苦しくなるのが人生である。今苦しんでいるのはあのときの責任転嫁のせいかもしれない。

「そんなことしたら地獄へ落ちるよ」と子供の頃クラスメートから言われた日は、7歳の僕の誕生日だったと思う。そんな僕が少し嘘をついたのか、小学校の決まりごとを破ったのかはよく憶えていないが、地獄についてはその後の人生で幾度となく想像してきた。炎に包まれ、食べ物や着る物もなく、人々は殺し合う。しかも鬼に支配されて、永遠に肉体労働が待っているのだ。そんな地獄には愛や感謝、優しさや親切は決して生まれないだろう。一方で現世においては恨みや憎しみ、妬みに囚われたり、孤独感や罪悪感で満たされたり、怒りに支配されかねない。だから自分が生きることに感謝さえ出来ずに愛を忘れて、優しさや親切を感じることができなくなる。まさにそんな現世ならば、いわば地獄である。地獄は人の心が生み出すものだと、やっと大人になって分かってきた。地獄へ落ちない生き方をしたいと、あの日からずっと思っている。

反省は大切だ。生きていく上で、次にどうしたらもっと上手く行くかを考えることで、たとえ困難や逆境に合っても前を向けるからだ。一方で自責、つまり上手く行かないのは自分が悪いからだ、と自分を責めていれば前を向く力は奪われる。また自責傾向の強い人は他責、つまり他人のせいにもするものだ。何かトラブルが起きたときに、誰かのせいにしても、結局生きるエネルギーを奪われるだけである。トラブルを自分の教師とできる人にこそ、成長に値すると信じている。

怒ることは仕方がない。しかし怒り続けることは避けるべきだ。怒りは自他への攻撃となり、そして新たな怒りを呼ぶ。そして戦争は続く。何年経とうが「あいつは許せない!」と、いつまでも自分の怒りを正当化して、こだわりの怒りを抱き抱えている。そんな人生苦しい。自分の中に思い出して怒る人がいれば、それだけで身体も心も蝕む。怒りはなるべく早く手放すに限る。過去の傷も薬を塗って直してしまおう。過去の傷も引っ掻けば、直りかけのかさぶたが剥がれてまた血は流れ、新しい傷となる。怒りにこだわる必要は全くないことに、僕はこだわりたい。