院長ブログ

親育て

2024年4月9日

 子供の頃から親を尊敬し唯一のモデルとして成長してきた。親にこうしなさい、ああしなさいと言われてもだいたいは素直にそうしてきたつもりだ。次第に大人になり親からの距離は離れて、今自分自身の人生を歩んでいる。今日は町中で、親に手を引かれて満開の桜の下の入学式。もう一度子育てについて考え直した。まずは完璧な人間などいないことが前提である。親自身も未熟で不完全な一人の人間だ。また不安や心配を常に抱えている親こそが子供をコントロールしたがる傾向にある。そして服装や友達、進路や恋人、趣味や仕事にまでダメ出しを繰り返す。子としてはそんな親にもいつしか反抗をするべきだ。反抗期を経て親も子もそれぞれが違う人間だと認識するからだ。反抗期が思春期である必要はないとも考えるが、親子の人間性の分離は必ず通るべき道でなければならないと考える。その中で親は子育てをしながら自分自身の人間性や人生観を見直したい。まさに子育ては親育てである。親が人として成長していく姿を見せていくことが子供にとっての成長に一番大切なことだと信じている。


あくまで個人の感想です

2024年4月2日

 通販の番組やサイトの画面の傍に小さく書かれている「あくまで個人の感想です」の一言は、僕たちの購買意欲を冷静にさせてくれているかもしれない。周りではみんなが好きだとか美味しいだとかで、行列を作るラーメン屋や売り切れ必至の商品が生まれている。また食べ物だけではなく、人だってみんなが好きだからとの理由で、その人のファンになったりもする。人や物を他人の評価のフィルターを通して見つめてしまいがちである。しかし一番大切なのは自分が好きかどうか、美味しいかどうかである。また他人の評価で心動かされる人は、自分への他人の評価を気にして生きやすい。それが生きづらさに繋がらないようにしたい。原則自分の評価は自分でしか決められない。そして自分のことはどんなときでも絶対的に高評価でいたい。そして自分が好きなものを大切にする。また他人の好きなものも尊重してあげたい。だって全ての評価は、あくまで個人の感想ですから。


受け取った愛を

2024年3月29日

 自分一人で悲しみや辛さを抱えてしまったとき、誰からも愛されていないと思ったことはないだろうか?自分を助けてくれる人はいないのかもしれない、と。そんなときこそ、子供の頃愛してくれなかったと思う親からも、一緒になれなかった恋人からも、憎しみ合った元配偶者からも、音信不通の兄弟からも愛を受け取ったことを思い出してみる。必ず一つか二つは愛されていた思い出がある。愛されていたと思えればその人への感謝の気持ちで心が救われる。人は受け取った愛を感謝に変えられる生き物である。その感謝こそが悲しく辛い自分を助けてくれるであろう。


誰かに期待するから

2024年3月26日

 親、恋人、配偶者、子供、友人、同僚と僕たちの周りにはたくさんの人がいる。お互いに支え合って生きている。しかし「ああして欲しい」、「こうして欲しい」、「かまって欲しい」など誰かに求めてしまうことがある。また「愛して欲しい」とまでの強い期待をする。他人に何かを期待する傾向が強い人は、他人の反応に一喜一憂する。またその傾向により自分の幸せも他人に依存しやすい。幸せは自分でしか決められないことを意識しなくては、心が幸不幸を行ったり来たりすることになるのだ。だから他人には期待しない方がいいかもしれない。


別れの季節に

2024年3月18日

 3月は別れの季節である。卒業、転勤、転職が繰り返される。別れてもいつかはまた会える筈だが、もう会うことはないのかも知れないとも思う。会いたいと思っても会えない人も沢山いる。生命あるものは死別も受け入れなけらばならない。そして別れは繰り返されるのが人生である。一人では生きられないわれわれが、ふと寂しくなるのも当たり前である。そんなときは、あの人のおかげで、今の自分がいると繰り返し思ってみる。もう会えない人に感謝できることを見つける。今の人生が幸せなのはあの人がいたからだと思い、いつも幸せだって思える人生を歩んでいく。一生別れないのは自分だけだから。



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