
ワイドショーやネットニュースを見て、あっちが悪い、こっちが悪いとみんな言っている。話題としてはいいのだが、他人のいい悪いなんて決められないし、まして自分のいい悪いを決められたくない。自分の好き嫌いを他人に押し付けているだけだ。子供のころから親の好き嫌いを押し付けられてきた人ほど、他人のいい悪いを決めたがると考えている。僕はいい医者だろうか?悪い医者だろうか?どちらも言われたことがある。いい医者でいたいと考えている。
ワイドショーやネットニュースを見て、あっちが悪い、こっちが悪いとみんな言っている。話題としてはいいのだが、他人のいい悪いなんて決められないし、まして自分のいい悪いを決められたくない。自分の好き嫌いを他人に押し付けているだけだ。子供のころから親の好き嫌いを押し付けられてきた人ほど、他人のいい悪いを決めたがると考えている。僕はいい医者だろうか?悪い医者だろうか?どちらも言われたことがある。いい医者でいたいと考えている。
「自分のせいで…」と自責の念に苦しむことは誰だってあるだろう。何事も自分の責任だと思う人は優しいし、成長できるし、みんなから好かれる。だけど理不尽な人に攻撃されたとき、能力が及ばないときは苦しくなることがある。そしてあまりにもそれが続くと生きづらくさえなる。一方で他責とは、他人や環境のせいにすること。その方が気持ちが楽だし、悩みも少ない。だけど自分の反省を怠けたり、さらには人の悪口を言い易いのだ。自分が苦しくなったときだけは、他責を取り入れてみてもいい。また叱責されたら右から左。
右から左へ聞き流すことは、生きていく上で大切な技術である。いちいち嫌みな人、一言余計な人、話が延々な人は必ずいる。しかしこのような人と接しないことにはならないのも人生である。だから他人の言葉では、自分の価値が変わらないことを信じる。もし傷ついたらその人から離れればいい。もし自分が褒められても、相手に感謝するだけで有頂天にはならない方がいい。
「大丈夫?」ってよく聞く人がいる。自分が安心するために聞いてくるだけに聞こえる。相手に「大丈夫。」と答えてもらうために聞いている気がする。自分の承認欲求を満たすために。こちらは駄目でも「大丈夫。」って答えてしまうから。「大丈夫?」って聞く前に助けて欲しいと思うのは、僕だけだろうか?聞いたからにはその後にフォローしてくれるのだろうか?聞くだけで満足する人ではいたくない。「大丈夫!」っていつも思って生きていこう。
医師をやっていて一番嬉しいのは、気持ちが触れ合うときだ。患者さん、そのご家族、ナースなど何とかしたい、何とかしてあげたいという思いが重なるときだ。それに呼応できるように、知識や技術はもちろん、心も身体も自分を磨いていきたい。仕事でなくとも気持ちの触れ合いこそが、われわれ人間に力を与えてくれる。それは人としての喜びにもなる。この仕事をできている現在に、感謝と誇りを忘れずに今日も病院へ向かう。