「幸せになりたい」って言う人は、今が幸せでないことを認めている。今の状態を幸せだと思えない人は、どんなことが起きても幸せにならないし、これからハッピーなことが起こらない。束の間の幸せを感じる程度である。逆にいつも幸せだと言える人はこれからも幸せでいられるし、ハッピーなことがたくさん起きる。幸せとは自分にあるものを見つけることであり、気づくことであるから。
幸せになりたい
頑張れと言われても
失敗して落ち込んだり、病気になったときに「頑張れ!」と言われても、体が動けないときには頑張れない。精神的に疲れていてもそうだ。またそんなときに頑張って無理して行動する人は、他人にも頑張りや行動を要求する。「頑張れ!」の連鎖が起こる。そして頑張れなかった人、つまり行動できなかった人に不満を覚えて、酷くなれば憎しみまで抱く。そもそもだいたいの人は頑張っている。敢えて頑張らなくていい、あなたはあなたらしくあなたであればいい。頑張りの代償は必ずしも美しいものではなく、体や心の傷口を広げてしまうこともあるのだ。辛いときには「頑張れ!」は欲しくない、寄り添って「頑張らなくていい。」と言って欲しい。
だから私が言ったじゃない
「だから私が言ったじゃない!」と言われて反省を促されたことがある。しかし行動したのは自分だから仕方がないと思えるだろうか?怒られたり、叩かれたりしたことが子供時代にあった人は自分が悪いと思い込むようだ。だいたい子供や配偶者に必要以上に怒る人は、自分が相手の気持ちや行動をコントロールしたい。つまり罪悪感を与えて、言うことを聞かせたがる。それで自分の気持ちを満たしている。しかし必要以上に怒られた相手がうつ状態や引きこもり、他人の不機嫌を恐れ、不幸を感じ続けたとしてもその人は決して責任を取ってくれない。だから自分で原因を考えて、考えた通り行動する。コントロールしてくる他人からは心の距離をおく。そして自分の人生は、自分で責任を持って生きるのが大人である。
比べようがない
「他人と比べるな」と言われても比べることを教えられてきた僕たちは、どうしても比べてしまう。あの人はモテる、仕事ができる、配偶者がよく稼ぐ、子供の成績がいい、などずっと比べて生きてきた。比べた挙げ句には「どうせ自分は…」となる。これが一番辛い。それが出てきてしまううちはいくら富や名声、地位や名誉を得ても満たされないのだ。これからは誰とも比べないことを覚えていかないと。自分を含めたみんなが違うから実は比べようがないのが真実。
何になりたいか?
「大きくなったら何になりたい?」って幼い頃には誰しも聞かれたことがあるだろう。お嫁さんだったり、世襲の家業だったり、スーパーヒーローだったりもしただろう。しかし大切なのは自分以外の何かになろうとしてはいけないことだ。いつしか周りの人と比べて自分にないものに気づき、それを羨み、嫉妬して生きればエネルギーを失っていく。酷くなると他人の不幸まで喜んだりしてしまう。そこまでしてなりたいものになっても、待っているのは不幸かもしれない。だったら自分ができることだけで努力する。やりたいことをやる。例えば結婚しなくたって独身だからできることが沢山あるし、子供がいなくたって子供がいないからできることだらけだ。仕事がなくたって、体が弱くたって、自分にやれることをやって楽しんで幸せを感じられる。今の自分を受け入れて、努力したいことだけに努力すればいい。結局は大きくなってなりたいものは何でもいいと思う。あなたがあなたであればいいので。