愛を求めない
2023年10月21日
深浅あるかもしれないが、愛のない人はいない。しかし愛情表現がみんな違うことにはなかなか気付けない。だから受け取る側によって、愛を感じられないことはよくあることだ。僕たちが生まれて初めて受け取る親の愛情表現も、もちろんそうだ。幼き頃に欲していた愛を上手く受け取れずに、そのまま運悪く大人になった人は、引き続き愛情飢餓感で苦しむことになる。何故なら、親からだけではなく、全ての人からの愛を求めてしまうからだ。そしてその愛情飢餓感を満たすために欲しがる愛は、簡単には満たされない。それが我々を苦しめることになる。刹那の飢餓感を満たすために、様々な中毒や不幸な恋愛、犯罪にまで手を出してしまうことまである。そこまでとは行かなくても、パートナーや子どもに支配的になったり、ちょっとしたことで不安やイライラを感じやすくなるのだ。だからといって愛情飢餓感を満たしてくれるからと相手を選んで結婚するのも、不幸に繋がりやすい。それは一時的に満たされても時間が経つとすぐに飢餓状態となり、永遠に求め続ける依存状態となりやすいからだ。愛情飢餓感ほど厄介なものはないと言える。しかし幸せになるためには、これを何とかしなくてはならない。自分が他人の顔色ばかり気になったり、些細なことでキレやすかったりするならば、愛に飢えているとまずは認めてみよう。次にたまたま愛情を受け取り損ねただけだと認識してみよう。更に思い切り思考も変えてみる。それは「愛を求めない」と強く誓うのだ。何度も繰り返してみよう。そうしていくうちに愛は求めなければ近くにあることに気付ける。自分で自分を愛せることもいずれ分かる。愛は求めるものではなく、与えるものである。また与えても見返りを求めた時点で、愛ではないと言えよう。
憎しみの数だけ
2023年10月19日
許せない、憎たらしいと思う人の数、そしてその思いの深さに比例して、人は不幸になる気がする。対象は過干渉な親、別れた配偶者、いじめられた相手、対応の悪かった店の人、パワハラ上司など。つまり人を憎むことによって自らのエネルギーを奪い、疲れて、僕たちの前向きな心、優しさが生み出されずに辛くなる。だから他人を許す、理解する思考は、幸せになるために必要不可欠であると考えている。人には相性があるから、合わない人は必ずいる。自分の人生が疲れて、辛くて仕方ないと思ったとき、許せない人、憎たらしい人がいないか?と考えてみる。その人とは合わなかったと合点してみる。
悪いようにはしない
2023年10月14日
家族、社会、世界、宇宙人、あらゆるものを悪いように取ろうとしたら人生辛くて仕方がない。運命だって悪いように取ったら誰だって不幸である。ついてないと思う出来事だって、長い目で見たら、絶対に何かしらの意味がある。しかも後から自分に幸せを運んでくることも多い。病気だって、失恋だって、死別だって、どんな挫折でも時間をかけてだって受け入れたいと思う。僕は信じている、神様は絶対悪いようにはしないと。
我慢
2023年10月11日
子供のうちはまだ子供だからって我慢した。学生の頃はまだ学生だからって我慢した。若い頃はまだ若いからって我慢した。今はどうか?若いと言えば若いかな?若くないとも言えるのか?だから、もう若くないからって我慢しないことに決めた。今まで我慢してきたからもう我慢しなくていいのだ。そんな風に思えたら誰だって強くなれるし、人生明るく楽しくなれる。若くて、綺麗で、シワがなくて、髪がフサフサで、体力があって、体が締まってて、そんなことなんて自分の価値としてはわずかなものだ。われわれの価値は、自分のハートだ。幸せを感じられる心だ。自他を思いやれる優しさだ。歳を重ねながらハートは磨けば磨かれる。ハートにハードな我慢はさせない。
もう少しだけ頑張る
2023年10月6日
みんな頑張っている。子供だって、大人だって、好きな人だって、苦手なあの人だって、みんな頑張って生きている。よく考えたら頑張っていない人なんていない。自分のことも、他人のことも頑張っていると認めてあげたい。もし限界が来たら逃げたっていい。でもあと少しだけと思えたなら頑張れるかも。限界を少しでも大きく、高く、長くしたい。いつももう少しだけ頑張れる自分でいたい。