家族、社会、世界、宇宙人、あらゆるものを悪いように取ろうとしたら人生辛くて仕方がない。運命だって悪いように取ったら誰だって不幸である。ついてないと思う出来事だって、長い目で見たら、絶対に何かしらの意味がある。しかも後から自分に幸せを運んでくることも多い。病気だって、失恋だって、死別だって、どんな挫折でも時間をかけてだって受け入れたいと思う。僕は信じている、神様は絶対悪いようにはしないと。
悪いようにはしない
我慢
子供のうちはまだ子供だからって我慢した。学生の頃はまだ学生だからって我慢した。若い頃はまだ若いからって我慢した。今はどうか?若いと言えば若いかな?若くないとも言えるのか?だから、もう若くないからって我慢しないことに決めた。今まで我慢してきたからもう我慢しなくていいのだ。そんな風に思えたら誰だって強くなれるし、人生明るく楽しくなれる。若くて、綺麗で、シワがなくて、髪がフサフサで、体力があって、体が締まってて、そんなことなんて自分の価値としてはわずかなものだ。われわれの価値は、自分のハートだ。幸せを感じられる心だ。自他を思いやれる優しさだ。歳を重ねながらハートは磨けば磨かれる。ハートにハードな我慢はさせない。
もう少しだけ頑張る
みんな頑張っている。子供だって、大人だって、好きな人だって、苦手なあの人だって、みんな頑張って生きている。よく考えたら頑張っていない人なんていない。自分のことも、他人のことも頑張っていると認めてあげたい。もし限界が来たら逃げたっていい。でもあと少しだけと思えたなら頑張れるかも。限界を少しでも大きく、高く、長くしたい。いつももう少しだけ頑張れる自分でいたい。
感情の束縛
感受性、嗜好は個人個人で異なる。しかも兄弟や親子でも違うことを忘れてはいけない。楽しいこと、悲しいこと、嬉しいことは一人一人違うのである。しかしその前提に立てない人が自分の親、配偶者、上司になったときに、われわれは苦しむこととなる。つまりその人は相手に感じ方を押し付ける。「何で楽しくないのか!」と。それを感じない相手に対して不機嫌となる。そして楽しまない相手を攻撃したり、悲しまない相手を批判する。言わば感情の束縛を行うのだ。これを受けて育った子は自我の形成不全、家では休まらず、職場では仕事の楽しさを忘れさせられていく。感情の束縛をしている相手が、われわれにとっての重い足枷となっていることに気づいたときこそが、われわれの自立への第一歩となるのである。
予測の事態
毎日小さな不測の事態は起こる。そして大きな不測の事態もいつか起こることを最低限予測しておくことは、今を幸せに生きる一つの秘訣であろう。不測に対してそれに備える。貯金、保険、リビングウィル、防災用具、遺言、日々の運動、腹八分目、自他ともに優しさを表現するなど。未来への不安に苦しむ我々は、起こりうることに少しだけ備えておく方が安心に繋がる。今の気持ちが前向きになれる。そうやって人類は発展してきたのだ。今を大切にするため、予測の事態として頭の片隅に置いておく。