幸せとは自分の心の構えである。だから美貌、才能、経済力、社会的地位、子供の学力、などは幸せには関係しない。日々の楽しみ、前向きな努力、後ろ向きでの感謝、無条件の自己愛、などが幸せへの条件だろう。幸せになろう、幸せでいようとするには心の姿勢を正すことも必要かもしれない。
幸せの構え
悪意を生む
相手を恐れて、顔色を伺い、びくびくしている人がいる。その人は相手の何気ない行動を自分への攻撃、悪意と受け取り、勝手に不機嫌となり、相手を責め出す。また相手の好意を受け取れないことも多く、感謝の念も浮かばない。つまり相手に多くを求め過ぎている。自分が満たされていないから、相手に優しさや愛を求めて、責めて攻撃するのだ。だから相手が笑顔や上機嫌でなくては、見捨てられ不安に襲われてしまう。相手に期待して愛を求めて、自分の不満や不安を解消しようとすればするほど人は不幸となりやすいのだ。相手の悪意は自分の心から生まれる。
大切な方
僕は27歳で理事長になった。そのとき院長となった三角二郎先生が先日亡くなった。父から理事長と院長をそれぞれ引き継いで、一緒にわかくさ病院を支えてくれた大切な方だ。先生は当時、10数年臨床から離れていたが、患者さんを診たり、職員に指導的に接するのは上手であった。一方の僕は医師としての経験が浅かった。また医師としてだけではなく、人としても大変未熟であったと思う。思い出すと沢山のことを教わったことに感謝が溢れる。その頃の僕は、診療や経営、職員の問題などで壁に当たるたびに、若くして理事長になった運命を何度か恨んだ。しかし多くの人に支えてもらい、その頃からの早20年が経って今があるのだ。僕が一番辛いときに近くで、一緒に悩んでくれて、汗水を流した日々が昨日のことのようにも感じる。仕事外も共に多くの時間を過ごした。先生は至らない僕を絶対に責めずに、見守り、励ましてくれた。体調不良で引退されるまでは、頼んだ仕事を必ず引き受けてくれた。あの頃の先生がいたから、今の病院があり、僕がいると疑わない、今でも大きな存在だと思う。もう会えないと思うと悲しくて寂しくて堪らないが、先生に貰った力と天国から送ってくれる力を感じて、頑張っていきたい。先生、飲み過ぎないでゆっくり休んで下さい、ありがとうございました。
新年を迎えて
新年早々の大地震で心が痛い。地震がいつでも起こりうる日本に生まれて、育って、生きている以上、これからも地震による悲しい思いはするであろうし、大切な人も自分も被災するかも知れない。だとすれば自分には今、何ができるのだろうか?それはまず今を大切に生きるしかない。会いたいと思う人に、今のうちに会っておくしかない。患者さんをしっかり診たい。医師人生を全うしたい。今年も自分で自分を愛して他人を愛したい。そして人生を大切に、楽しんで生きていきたいと思う。今年は年男だ。12年に一度の年の初めに、成長を信じて一年を始められた。今年も宜しくお願いします。
責任と立場
人には立場と責任がある。それを全うすることは人生においては当然かもしれない。またそれらは時と共に段々と変化する。兄弟の誕生、進級、進学、就職、出世、結婚、子の誕生など、立場と責任を考えて生きてきた。しかし誰しも押し潰れそうになったこともあっただろう。こうあるべきだと自分が自身に期待して、理想を膨らまして現実が見えなかったかもしれない。そして現実よりも大きく強く美しく自分を見せなければならなかった。それは苦しかっただろう。立場や責任を自分自身に対して悪用してしまうのだ。いつだって自分がまず現実の自分を受け入れる。それだけでいい。立場や責任はそのあとから着いてくる。まず「僕は僕」、自分であるのみの立場と責任だけで生きればいい。自分であればいい。自分を変えられるのは立場や責任ではない。親でもなければ配偶者でもない。自分の心の中からだけである。