院長ブログ

ちょっと待てよ

2024年2月14日

 忙しさを感じていたり、自分の体調が悪かったりして余裕のないときにこそ、予期せぬトラブルに遭ったり、新たに対応すべきことが出現したり、誰かに言われた何気無いひと言に気持ちが動揺したりする。そのときにはだいたいわれわれの視野は狭くなっている。自分の置かれた状況を誰かのせいにもしているし、不運を嘆いているかもしれない。もちろん心の中はイライラ、ザワザワしてしまう。そんなときに「ちょっと待てよ」と自分に声をかけて、もう一度自分の状況をネガティヴになる少し前から考えてみる。少しだけ視野を広く、ものごとを少しずらして側面から見てみる。ちょっと前のキム○クの真似をしてみる。実は大したことないと思えるかもしれない。


自分を好きでいる努力

2024年2月8日

 自分を好きでいられれば、人生は楽しく幸せなものとなる。一方で、人は一人では生きられない。家族という単位だけでももちろんそうだ。そこで、自分を嫌いになるきっかけである他人との関わりを見直しながら、日々歩むことが必要だ。言い方を変えると、そのような芽を摘むことが必要かもしれない。まず自分の中の敵意、嫉妬、自責などの負の感情は他人の言動に対しての自分の心の反応から生まれることを理解することが大切だと考える。どうして自分はそう考えるかを決して拗ねたり、他人を攻撃したりしないで考えるべきだ。自分を嫌いになる前に、自分の心の反応の特徴を知れば対処ができる。嫌いになる心の反応を起こしにくくなる。今更に親や自分の性質や過去を憎む必要がなくなる。そしていつも自分を好きでいる努力は惜しまないでいたい。


今までが運命

2024年2月1日

 運命って何だろう。この世に生まれたこと自体、自分の性質、親を始めとする環境、他人との出会い、いくらだって運命だ。今の自分が悩んでいたり、疲れていると人は過去を悔やむ。また今の自分が理想の自分と乖離していれば尚更である。自分がもっと能力があれば、あんな親じゃなければ、この仕事に就かなければ、あの人と出会わなければなど。誰だっていつの日にか運命を呪うまでいかなくとも、悔やむことくらいはあっただろう。しかし僕たちが幸せになるためには、今の自分の全てを受け入れなければならない。過去の自分の選択も、そして非選択のことも今までの全てを運命と受け入れてみる。自分にとって辛い現実も「運命だからしょうがない」と思えるかもしれない。明日からの運命も前を向いて、切り拓きながら人生を歩むのだ。


人として許せない

2024年1月25日

 「人として許せない」とは、許せないの最上級であろうか。人間という生物として許せないという意味であろうか。人間の代表にでもなったつもりであろうか。あくまで自分個人としては許せないに過ぎないのではないか。ここまで許せないことを誇張している人は、他にも許せないことや人が多いのであろう。だいたい他人をそこまで言う人は自分を許せないに違いない。自分の人生を憎んでいるに違いない。他人の何気ない言動を悪意ある言動と取ってしまうのだ。それでは苦しい。まずは人としての自分を無条件に、絶対的に許すことから始めてみよう。次に自分に近い人から許してみよう。あのとき許せなかった人にも感謝してみよう。人が人として許せないことはきっとないはず。「人として許す」を続けていこう。


あなたのために

2024年1月23日

 言われると辛くなる言葉は多くあるが、「あなたのために」もその一つだろう。親や配偶者が相手をコントロールするために、自分の行動を愛に基づいたものだと正当化するためによく使われている。相手の感謝や従順を得るために繰り返して使われる。不機嫌になると言う人も多い。本心は「あなたのために」ではなくて、自分の不満や劣等感を満たすためにであることが多い。自分の親からこの言葉をたくさん聞かされて育てば、親の顔色を伺い、自分は愛されていないと感じるだろう。そして他人を信頼できない、辛い人生になるかもしれない。「あなたのために」の言葉を多用する人には実は愛がないのだ。しかし第三者の好意を気づかせてあげるときには「あなたのために」と教えてあげてもいいだろう。



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